海は海。 山は山。 それ自体は変化することなく、 総てが変化することを可能にする、 その、世界。 総てに関わりながら、関わらないのです。 その、世界。 あるとも、ないとも、どのようにも。 表現不可能、不可知です。 そして、自己。 わたしはこの身体、思考、感情、 意識ですら、 ないのです。 わたしは、何でしょう。 不可知にして未知。 それを自己、と表現します。 触れたり、見たりできる自分とは、 世界を構成している、要素です。 人は、そうした物事を使って学びながら、 自己自身、 その不可知、に至ります。 それは、知る、というより、了解です。 深く深く、深く、了とします。 人の内奥から、その了解が染みてくるなら、 生はなにひとつ、その様相を変えずとも 確実に、人は道を得ています。 変化、変容の経緯あってこそ、 同じことがただ同じ、ではなくなります。 何気ない、この日常。 山は山。 海は海。 そこに誰もいない、のです。 そしてさらに、尚。 人は人、として生きることができ、 私は私、として生きることができます。 知る知らない、いるいないの範疇に、 ある,でも、ない,でもない、どうでもない、 表現不可能な、 了解そのものとして、在ることを学びます。 人は世界が、自己が自己を学ぶための 自己自身であることを見ます。 それはどうしてか、そうであることを見ます。 けれどそれが何か。 知ることは、出来ません。 それは未知、不可知であり 人が真剣であるなら、 空想の余地が ありません |